好きになれない曲があります。
自分のオリジナリティーに自信を持て!
と言う様な内容の曲なのですが、どうしても好きになれないのです。
偽善的であるとか、アーティスト性がどうこうと言う事ではなく
そのあまりに直接的すぎるメッセージが気持ち悪く
そのメッセージを、優れている、ましてや感動的だとすら感じてしまう
今の日本が気持ち悪いのです。

その歌は感動的な言葉が並べられ、直接的な慰めを聞く者に与えます。
しかし、分かりやすい直接的な刺激は、感動を感じる回路を直結させてしまい
結論や結果に至るまでの、細かなニュアンスや風味を感じさせません。
更に問題なのは、巷に似たような分かり易いメッセージソングが溢れ返っており
それらの歌から、単純にくり返し刺激を得られる事に慣れてしまうと
人はわざわざ遠回りをしようとしなくなると言う事です。

歌を例に採って書きましたが、
メジャーな存在が耳障りの良い言葉を並べれば、どんな物でも良いと錯覚してしまう
そんな傾向が、フィクション内に限らず現実世界をも蝕んでいる様に思います。
具体的には申しませんが、最近の某知事選や某市長選に於いても
分かりやすく、庶民の味方っぽい公約を掲げる候補者に群れ、前後なく当選させてしまう。
その公約がいかに具体性に欠けるかには目を向けようとはせずに。
これも、考え感じる事を放棄し、直接的な刺激に流されている一つの例でしょう。

話を戻します、たかだか歌だと思われるかも知れません。
でも、そう言った垂れ流しの創作物を、無作為に取り込み続ける事によって
自分の中の、細かなモノを「感じる力」が損なわれる事もあるのです。
普段、目が、耳が何の疑問も無く感じ取っている事を、一度全て疑ってみて下さい。
余計な物に流される事なく、自分にとっての本物を見つける為に。

(Y)