Sergiu Celibidache (セルジウ・チェリビダッケ)

この名をご存知の方はどれくらいいるのだろうか。クラシックの世界における著名な、そして偉大な指揮者だ。

「のだめ カンタービレ」の大ヒットがあってクラシックに触れる機会を持った人も多かったろう。「のだめ」で使われていた曲は比較的有名なものも多く、アレンジも若干早めのテンポで非常に聴きやすかった。

しかしチェリビダッケの音楽は違う。圧倒的に遅い。単なる音の羅列として捉えたら本当に遅い。別の曲のように遅い。とにかく遅い。ダニエル・バレンボイムと共演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番など、演奏が遅すぎてバレンボイムが苛立っているのが分かるくらい遅い。

しかし凄い。彼の音楽はスピードや単なるテンポを超越している、一つの現象なのだという。
生前、現象学や禅の世界に没頭していたと言うのも影響しているのかもしれない。

チェリビダッケは特にブルックナーを敬愛していた。ブルックナーの交響曲は教会音楽的な、音響を重視したものであると思っている。普通の指揮者の演奏で聴くと正直かったるい。しかしチェリビダッケの極端に遅い、しかし恐ろしく美しい響きで奏でられるブルックナーは別の世界を提示している。明らかに違う。

別にブルックナーでなくてもいい。あなたがよく知っている曲で、チェリビダッケが振った録音に出会ったならば是非聴いてみて欲しい。最終的には好みの問題になってしまうのかもしれないが、誰もが知っているであろうベートーベンの第九でさえも完全に分解されて再構築され、新たな発見を得ることができるのではないだろうか。「こんな遅い第九は嫌だ!」というのも、また一つの発見だと思う。

音楽は一つの現象であるという信念から、生前のチェリビダッケは録音を忌み嫌っていた。音と、空間と、聴衆が共有して初めて音楽は完成するのだと。しかし彼が残した音源は、彼の意図とは違うものなのかもしれないが素晴らしいものが多い。カラヤンとの確執もあってポピュラリティとは無縁だったのだろう。現在普通に店頭で手に入る音源は多くない。だからこそ興味があったならば、一度触れてみて欲しい。

最後に、これらはクラシックオタクの戯れ言に過ぎない可能性が非常に高いので、その感想に関しては一切の責任を負わないことをここに明記しておく。ちなみに私は、彼の指揮であれば同じ曲でも録音年が違っていたりオーケストラが違うだけで買い集めてしまいたくなる。それくらい好きである。

(U)